映画「それでも恋するバルセロナ」

映画の内容はさておき、いつも思うんだけど、スカーレット・ヨハンソンって普段はゴージャスで赤い口紅も似合うし、マリリンモンローの再来とか言われているけれど、スクリーンの中ではどの作品もやたら子供に見える。
ロストイントランスレーション、ゴーストワールド、クマのやつetc。。(こう書くと結構面白い作品に出ているなぁ)
ペネロペという驚異的な対比があったにせよ、スクリーンではまったくセクシーに見えないっておもしろい。
(しかしペネロペかわいすぎて倒れそうになったよ)

さてさて、今回のウッディアレンは傑作です。
この監督は、作風が独特だし、ナレーションに説明させるし、好き嫌いが分かれる監督ですが、今回は今まで見た中で一番好きかもしれない。

スカジョ演じるクリスティーナの得意台詞「望まないものはわかるけど、望むものはわからないの」というのがすごく共感できる。
そして次の場所に行きたくなって、ずっと何かを探している。
それじゃダメなのも十分わかってて、自分の内側に何かを見出そうと必死にもがいてる。

もう一人のヴィッキーは正反対の女性。
すべては計画的に、婚約、結婚etc…
だけど、不意に関係を持ってしまったファンアントニオに対して、強い執着心を持つ。
好きなんだか好きじゃないんだかはもう問題ではなくて、関係を持ったという事実と、でもどうにもならないという現実で、心の中はそれ一色。

ウッディアレンも言っているけれど、どちらも問題を抱えている。
どちらにも、自分の中にあるある種の問題を考えさせられる。

あ、あともう一人の、ペネロペ演じるマリアエレーナ。
この激情型、精神不安定な女性の中にも、人はやはり共感できる要素を感じるだろう。
普通ではないトライアングル関係の中に安定を見出したり、成就しない恋こそがロマンチックと言ったり。
先が見えたり、これが永遠に続くと思うことにある種の恐怖を感じてしまう。

ファンアントニオの刹那的な人生観もだ。
「人生は無意味だから貪欲に楽しむべきだ」

ウッディアレンはどうしてここまで、人間を描けるんだろう。
ひとえに、人に対する「愛」ですよね。
愛がなければ人に対して興味も持てないし、多種多様な人間同士の繋がりを描こうとは思わないだろう。
(物質主義的な人間への皮肉だって、愛がなければ皮肉も言えないだろう)

彼はひとつの答えを出したいんだろうか。
いや、答えなんてないし、そんなもの永遠に手に入らないことはとっくにわかってて、それでも頭の片隅ではちょっと探してて、でも探すつもりで映画を作っている訳ではないんだと思う。

いやー人生って、生まれて死んでいくそれ以上でもそれ以下でもないけれど、こんなにも考えたり感じたりすることをやめられないって、素晴らしすぎるなぁウッディさん。