映画「アイガー北壁」

映画には、ただただそれが作られたことに驚かされる類のものがある。
息を抜けるところがなかった。
ほぼ動かずに観ていたからか、終わった後体が疲れていた。

映画においてリアリズムを追求することについてはいろいろな意見があるんだろうけど、こと山岳映画においては、どこまで追求できるか、にかかっているんではないかと感じた。
自然の脅威とか、そんな生易しい言葉では語れないあの状況をあそこまで表現できるとは。

ナチス政権下、イデオロギーのために利用されたという歴史的背景も興味深かった。
ただ、登らされたとかそういうのではなく、彼らの、アイガー北壁を一番に征服したいという渇望とそれがうまくマッチしたんだろうと。
んー、、、つまりそこには、それとは確実に切り離された、彼らだけの、登山家だけのもの(今も昔も変わらない、そこに山があるから的な)があったにすぎないんだろうということ。

アンディがザイルを切るところ、ああいう場面はいつも、自分なら生にすがらずに、最期に人として潔く行動できるかが試されているように感じる。

ポセイドンアドベンテャーとか、タワーリングインフェルノとか。
ちなみにこの2つをパニック映画というくくりにするのはやめて欲しい。
そうなると、タイタニックは恋愛映画じゃなくてパニック映画なのか?