映画「マラドーナ」

イメージとは裏腹に、無邪気な子供のような人だった。

「昔はすごかったけど、スキャンダルや薬物中毒で今や落ちぶれた元サッカー選手」
そんな風にしか思っていなかったけれど、彼が語る様を見て、好きにさえなってしまった。
発するエネルギーがすごすぎる。

激しい反米反英感情、カストロとチェゲバラのタトゥー。
自分が信じているものに対しての揺ぎ無さというか、理想を理想で終わらせない強さ、信念。
そこに「神の手ゴール」や「伝説の5人抜き」で、マラドーナのカリスマ性はもはや不動のものだ。
だって、マラドーナ教ですよ?これは知らなかった!
マラドーナ教スタイルの結婚式、ボールを使ってた…。
無神論者が結婚するときは、自分の好きなものに誓えばいいんではないかと思った。
私は何に誓おうかな。

そんなカリスマが、自分の人生に対して感じる悔恨の念。
娘が小さい時、自分はコカイン中毒で成長を見ていなかった、と。
そのことを今でもいつも悔やんでいる、と。
永遠に失ったものの大きさに押しつぶされそうに見えた。

最後、街角でギターを片手に青年が歌う歌を聴くマラドーナ。
マラドーナのようになりたい、マラドーナのようにすべてを手に入れたい、そんな歌を聴く彼の目は、サングラスで見えなかったけれど泣いているように見えた。