9.11以降、自由の国アメリカは随分変わってしまった、という話はここそこで聞く。
人種のるつぼ、サラダボウルなどと表されるように、様々な国や民族出身者を受け入れ、そんなエネルギーで大きくなったといっても過言ではない新しい国アメリカは、9.11以降変わってしまった、と。
これはフィクションであり、そんな現在のアメリカ社会を映す一つの事実でもある。
大学教授のウォルターは、妻に先立たれてからというもの何もやる気が起きず、仕事も人付き合いもすべては惰性、何の楽しいこともなく毎日がただ過ぎてゆく。
ある日、所有しているニューヨークのマンションに立ち寄ったところ、アラブ圏出身のカップルが、仲介業者に騙され何も知らずにそこに住んでいた。
出てゆくことで話は落ち着いたが、行く宛のない二人に、ウォルターはしばらく居を提供することにする。
タレクはシリア出身のジャンベ奏者。
彼の演奏を聞くうちに次第に興味が沸き、慣れないながらも公園でのセッションに飛び入り参加するまでになる。
そんな折、地下鉄でのちょっとした行き違いで職務質問されたタレクが、警察に連行され入局管理局の拘置所に入れられてしまう。彼らは不法滞在者だったのだ・・・
この映画について友達と話をした時、彼女の感想は「なんだかんだ不法滞在者、法を犯しているのだから、連行され、強制送還になるならなるで仕方ない。だからあまり感情移入できなかった」というものでした。
それも一つの意見でしょう。日本は島国で難民だの移民だのの受け入れ体制もほとんどないわけで、不法滞在者=悪という図式を思い浮かべるのは当たり前なのかもしれません。
善か悪かで片付けるのは簡単です。
しかし国に居ても満足な仕事がなかったり、すでに他国に来て数年生活しているタレクのような移民にとって「生活」が保障される場所はどこにもないのです。
不法であろうが必死で自分の居場所を見つけ、夢を手に入れようと生きる彼らに、日本で安定した生活しか知らない私たちが、一言「それは悪だ」と片付けることができるでしょうか。
世界情勢は、悪化の一途をたどっています。
イラク情勢にアフガン情勢。自国で生活できない彼らは、トラックの荷台に紛れ込み、船の荷物に紛れ込み、密入国で他国に入ろうと、なんとかして生きる道を探っています。
先日もそんなトラックの荷台から何十人ものアフガン人が腐敗した遺体で発見されたと、ニュースに出ていました。
国家が破たんしている国の国民にとって、国とは、法とは、なんなのでしょう。
自力で生き抜くしか生きる道はないのです。
もう一つの見どころである、ウォルターとタレクの母親との微妙な心の通い合い。
行きどころのない想いを抱えるもの同士、また、久しぶりに触れ合う異性として、素直に惹かれあった部分が大きいのだと思います。
しかし、そこを物語の結末に使うことなく、それぞれがそれぞれの問題を抱え別れてゆく様は、愛を滞在の為の道具(戸籍)などにせず純粋なままにしておく、そこに一つのピュアな愛を見ました。
「扉をたたく人」 2009/アメリカ
監督:トム・マッカーシー
出演:リチャード・ジェンキンス ヒアム・アッバス ハーズ・スレイマン
配給:ロングライド