映画「沈黙を破る」

これは試写で観たから、監督のお話も聞けた。

沈黙を破ったのは、元イスラエル兵。
自分たちがやっていることへの疑問から事実を語る道を選ぶ。

監督はもう何十年もパレスチナの取材をやっている人で、見た目がもうなぜかアラブ人。
一緒に生活すると顔まで変わるもんかいな。本人も、自分は見た目がアラブ人ぽいから、危ないところで「自分はジャーナリストで日本人です」と言っても信じてもらえないから、究極に危ない場面ではどうなるかわからない、というような事を言っていた。
あれは信じてもらえないわ。

イスラエルの元兵士(今回は3人)も、よくあそこまでしゃべったなという。
それも土井監督が、ちょっと取材しているジャーナリスト、ではなく、何十年も関わってきて深くこの問題について考察してきているからなのだ。監督もそこはそう言っていた。

イスラエル兵は、オフの時普通に家族やガールフレンドと過ごしているが、戦場に戻ると怪物になるという。
いや、イスラエル兵だけではないんだ、きっとどの戦争も、人間をそんな怪物に変えてしまう。
アフガンに派兵されているアメリカ兵だってそうだろう。
西洋文化で育った普通の若者が、そんな怪物になるというのが私たちにとってある種恐怖なのだ。
自分にも起こりうる変化というか。まったくの他人事では片づけられない。

監督は、日本の戦争加害の歴史とも重ね合わせて、占領する側とされる側、する側の心理、される側の痛み、を深く掘り下げる。
そこには、共通の問題がある。ある一つのスペシフィックな出来事がある訳ではなく、人間の心理状況や、抗えない力、そういうものには、共通する何かがある。

イスラエルとアラブの場合、シオニズムという特異な背景はあるのだが。
そこを監督に少し聞いてみたが、上映後のバタバタの中だったので、イマイチきちんと話せなかった。
でも映画を見る限り、シオニズムに駆り立てられて戦争に大義名分を掲げている若者も少なそうではあった。
もちろん、彼らのなかにシオニズムは根づいているのだろうけれど、怪物になってしまえばもうシオニズムもなにもないように見えた。

「沈黙を破る」2009/日本
監督:土井敏邦