映画「BOY A」

子供の頃特有の残虐性、というのは誰もが少しは想像つくのではないだろうか。
遊んでいるうちにトンボの体がちぎれてしまったり、そんなのは今より平気だった気がする。
加えて、物を知らないことが、引き起こす結果を考えずに行動してしまうことにつながったり。

少年Aは、友達と起こした事件により少年院に入れられていた。
出所後、その事件の残忍性・特異性から別の名前ジャックを名乗り、正体を隠して生活することになる。
勤め先で友人もでき、愛し愛される相手とも出会うことができた。
正体を隠していることに罪悪感を感じ、本当の自分をわかって欲しいという欲求が生まれるが、ソーシャルワーカーには絶対に正体を明かしてはならないと言われる。
ところが、ついに少年の正体が明らかになってしまう。その時・・・

先にも書いたように、子供の頃の残虐性というのは誰しもが少しは身に覚えのあることであり、家庭環境などで鬱屈した精神状態にある時はなおのこと、その結果まで考えずにその残虐性が暴走してしまうだろうことも想像に難くない。
ほとんどが喧嘩に終わったり、はたまた傷害事件になったり、傷害致死になったり、殺人になったり、結構発端は紙一重というか、すべては起きてしまった結果によるところも大きいような気がする。

だからといって、すべてが許されるべきだ、というのも違うのだろうし、正解というのが見えない問題であり、映画の結末がこのようになるのも納得できる。

納得というのも、主人公が選んだラストはそんな正解のない問題の一つの答えではあるかもしれないが、それはその人間性が選んだ答えであり、問題自体の答えという意味ではない。

私たちが考えなければいけないことは、問題の答えやこの主人公が選んだ道の是非ではなく、誰もが心に抱える闇には、ある種の共通点があるはずだ、ということだ。
自分にまったく関係のない闇ではなく、誰の心にも潜んでいる闇。
仕事熱心で親身なソーシャルワーカーの息子には息子の闇があり、みんないびつな形をしながら人と関わりあっているのだ。

シリアスなテーマながら、主人公と彼女の仲が近づいていく過程などとてもリアルに描かれていて恋愛的要素も楽しめた。(二人に近いカメラワークもとても良かった。)
また、クラブでのシーンなども、音楽に乗せてイギリスの若者たちの日常がリアルにテンポよく描かれている。

この映画の救いは、そこにあるのかもしれない。
出所し、終わるまでの、短い少年Aの青春が唯一の救いかもしれない。

「BOY A」 2007/イギリス
監督:ジョン・クローリー
出演:アンドリュー・ガーフィールド ピーター・ミュラン 他
配給:シネカノン