イライラ&モノグサ体質

イライラの発生原理を少しは理解しているつもりであるが、最近コントロールが難しい。

東洋医学やアーユルベーダなどでは人は様々な体質に分類され、ネガティブな面が出る時は例えば、落ち込むのか、悲しむのか、不安に襲われるのか、イライラするのか、怒りが出るのかなど、どういう傾向が出やすいかは人によって差があり、私は性質的に気滞が発生しやすい=イライラが出る。

気とは、英語でもQiと書き、エネルギーともプラーナとも呼ばれ、生きていくのに必須のものであり、その存在を意識していない人でも、状態の良し悪しには必ず関わっていると思う。

よく瘀血(おけつ)と言ったりするものは血の滞りであるけれど、まずはその前段階で気滞があり、その気滞が血滞を招くことになる。
瘀血が様々な病気の元になるのは想像がつきやすいが、その前段階である気滞を敏感に察知し対処するのが何よりも大事であると感じる。
(私の場合は気滞であるが、人によっては気虚(少ない)であったり)

しかし、言うは易しで、私のようなモノグサは気づいても対応が遅れがちで、毎度結構とんでもないところまでいってしまう。

今回の敗因はひとえにヨガをサボって、まったくやらずに一ヶ月を過ごしてしまったこと。
ヨガというと、はいはいヨガね、という感じかもしれないが、ヨガと一言で行っても、いろんなタイプのヨガがあり、最近行き着いた自分にとってのヨガは、つまりラジオ体操である。

話は遡るが、アイアンガーヨガがなぜ体質に合わなかったかというと、フローがなくポーズを追求する点であった。
もともとの神経痛があってじっくり深くポーズに入れないのもあり、それでもこれを乗り越えれば‥なんてことをやっているうちに、神経痛を活性化させてしまった感があった。
それでもアイアンガーも一年くらいは続けていて、しかし途中から上記のように神経痛の悪化が見られ、やめることにした。

しばらく間を置いて、去年久しぶりにやったアシュタンガヨガ。
アシュタンガというと、ストイックでハードでハマっている人にしか続かない、というイメージがあるが、マイソールクラスにしたのが大正解!

マイソールクラスとは、基本朝に行われ、各々が自分のペースでヨガをして、それを見て回っている先生が適宜ポーズのアシストや修正に入る、というスタイルだ。

最初のうちは、先生も見ているし、少しでもいいところを見せたい欲が沸いたりしてやり過ぎたりしていたが、途中からこれまでで初めての良い感覚を掴んだ。
それがつまりは「ラジオ体操的アシュタンガヨガ」である。

いけるところまでいって、グイッとしてしまってはダメなんだと。
ヨガも腹八分目でいいんだ、ということにやっと気がついた。
そして常に意識するのはポーズではなく、体を巡っている気のこと。
ポースをとる=ポーズをホールドしている5カウント中固まるのではなく、気の流れを意識する。
体の中をQiが駆け巡っているイメージである。
そうすると変な力が入らなくなり、終わった後も筋肉痛にならなくなった。
一番の収穫は、神経痛が日に日に改善したこと。

そんな良い感覚を掴んでいたのにも関わらず、なんでか、一ヶ月も丸々ヨガをやらなかったという話。

途中から、体の表面に何か(気)が溜まっている感覚はあって、自分で押したり揉んだりしていた。
指圧やマッサージの何がいいって、筋肉を揉みほぐすだけでなく、つまりは気を流しているという側面が大きい。

しかしちょっと自分で押すくらいでは追いつかず、悪循環のスパイラルに落ちてしまった。
誰しもに心当たりがあるだろうが、一度ダメスパイラルに入ってしまうとそう簡単に抜けられなくなる。
その点、女性は良くも悪くも月に一回リセットがあるので、そこを有効に使うしかないのではなかろうか。
(今回は、悪くもリセット後にそのままヨガを再開しなかったからこうなったんですが…)

兎にも角にも、自分の体質を把握し、適切に対処することでしか快適に生きていくことはできないのはずっと前から知っていたはずなのに、どうしてこのような事態が度々発生してしまうのか謎、と言いたいところだけど謎でも何でもなく、自分のモノグサ性質のせいなのは明らかです。

先日、幼稚園からの友人が泊まりにきて夜通ししゃべっていたのが、どうして私たちはこうもモノグサでいつまで経っても直らないのか、ということだった。

モノグサエピソードがありすぎて話が止まらなかったのだが、最終的には、このモノグサが今の私たちを形作っているのだからモノグサを否定するのはやめよう!という、今思えばどうしようもない結末で話が終わってしまった。