ゲスの極み乙女。のライブ感想を熱いうちに!

久しぶりにライブに行ってきた。
ゲスの極み乙女。は、うちのDJ(ただYouTubeで次々曲をかけるだけ)がたまたま彼らの曲をかけた時に、二人して、えっっ!?めっちゃ良くない!?!?となってそれから好きになった。

このあいだ夜中の音楽番組では東野と加藤が大好きと公言していたし、ライブでも小籔がステージのつなぎをやったりしていて、地味にファンがたくさんいるんだというのが最近わかってきた。

そう、小藪がライブに出てきた。
あと私は知らなかったくっきーという芸人。
彼らとえのんちゃんがジェニーハイというバンドを組んでいるそうな。

今回のライブのもう一つの収穫は、小藪について。
小籔は、性格悪そうだし(失礼)、たまに見かけてもいい印象はないし(失礼)、正直好きではないと思い込んでいた。
しかしまず、最近始めたというドラムに向き合う姿勢が素晴らしかった。

「最初の二ヶ月くらいは楽しかったがすぐに壁がきた。その壁を何とか乗り越えたらまた楽しくなった。しかしそれも束の間、また苦しい時が来た。そうやって何度も壁にぶち当たって少しずつ成長している。どんなミュージシャンでもそうやって壁を100枚でもぶち破って今こうやってやられてはるんだなと思うと尊敬しかない。」というようなことを言っていた。

それは、一見使い古された表現のように聞こえるかもしれないが、若かりし吉本時代のことや新喜劇のことを語ったり、また実際のドラム演奏が、本当に真剣な表情で緊張しながらやっていたことなどが相まって心に響いてきた。
芸人さんは、人を笑わせたり、テレビ局との関係などの中で使ってもらってなんぼだろうし、普段見えている部分はほんの一部に過ぎないんだ、と思った。
そして、やっぱりプロの芸人はすごいなと思わせる話のうまさ。
20分程×2回のセットチェンジの間も、どこまでが打ち合わせありでどこまでがアドリブかわからない話のおもしろさで飽きさせることなく繋いでいた。

えのんちゃんのMCも素でピュアで本当に素敵だった。

「自分はもともと一人で家に閉じこもっているのが好きで、合わない人やこの人違う、と思う人とは関わらないようにしてきた。それが正解だと思っていた。だけどほんと最近、2月になって、尊敬するある人にそれは違うと言われた。その人はいろんな人と関わって、仲良くするというよりは相手を理解しようとする人で、その人に、無駄を愛せ、ということを言われてハッとした。自分の思うことだけが正解で美しいわけではなく、自分もたくさんの無駄の中から美しいものを感じてきた。これからはもっと人と関わって、無駄を愛していきたい」というようなことを言っていた。

小籔もそうだしえのんちゃんもそうだし、直接話を聞いてみると、それまで思っていた印象と全然違った。
人に直接会うって大事、と改めて思った。
それは、オフレコという意味でより伝わるのかもしれないし、バイアスがかかっていない本人の言葉や印象が直接入ってくるからなのかもしれない。

ライブに行く前のえのんちゃんに対してのイメージは、才能に溢れていて、世間のバッシングなんてものともせず、風刺に溢れる視点から世間を鋭く切り取っている飄々とした人、だった。
しかし、実際は繊細で自分の言葉を大切にするピュアな29歳だった。
報道でものすごく傷ついたんだろうと思う。
何に傷ついたって、世間とのズレではないだろうか。
私もよく思うのですが、世の中の人達はそんなに完璧なんだろうか?
人を傷つけてしまったり、心変わりをしてしまったり、それを言い出せなかったり、でも抑えられない気持ちがあったり、そして反対に傷ついたり、そこから立ち直ったり、という経験が一つもないのだろうか。
そりゃ倫理に反したことをしてしまったのは事実だとしても、あそこまで赤の他人に責められることなのだろうか。

東野と加藤の番組の鋭いツッコミで、どうして実家に連れていったの?というのがあり、「恋と愛を混同してしまった」と答えていた。(お題に合わせて即興で歌を作るというコーナーで)
大人になりきれなくてもいいじゃないか。
ピュアで才能溢れる大人になりきれない男と、そんな男を愛した女と、傷ついた女がいた、でいいじゃないか。
世間とは本当にうるさいものだ。

結局のところ、かわいくてかっこよかったわー♡っていうオチなんですけど。

いろいろ便利になって、家から出なくてもコンテンツが見れたりする時代になったからこそ、ライブ感を大切にする、というのは思ったより大切かもしれない。

しかし、あんなにバッシングされてよく頑張ったと思うわ。
それがゲスの極みだろうが、ピュア(乙女)で居続けてほしいと心から願います。