ヨガ哲学

せっかく学んでいるので、ヨガ哲学のことをわかった範囲で少し。

私たちの中にはコンシャスネスがあるという。それは普遍のものであり、宇宙そのものといってもいい。
私でありあなたであり宇宙でもある。

I am beans.
I はコンシャスネス。これは普遍でピュアで美しい。
それに対してbeansは、appearance。起きている現象である。
名前でもいいし、職業でもいいし、ただの私でもいい。
beans は過去でもあり、現在でもあり、未来でもある。

I と beans は一つではない。
I はいつも起きている現象を見ることができる。クリアなmindとbodyによって。
mindは鏡のようなもので、汚れていたりカバーがかかっていたりすると、見ることができない。
ヨガはそれを取り除く道となる。

ヨガというのは、ポーズだけのことではない。
ポーズから入るのは頭でっかちにならずにいいことだと思っている。
だんだんと興味が出てきたときに少しずつポーズ以外のことを知っていくのがいいんではないかな。

レクチャーの中で素晴らしいクオートがいくつも出てきたので少しご紹介。

We can not rub something without getting rubbed.
(何かをなでるとき、私たちの手のひらもまた何かになでられている。)
Every action has a reaction.
すべては一つのバランスの中での出来事であり、何一つとして独立している事柄はない。
自分の中でも、人と人とでも、人と自然とでも、宇宙全体でも、すべてはバランスの中のできごとである、
大きなアクションならわかりやすい。誰かを殴ったとしたら、嫌な気分になったり、相手から殴られ返されるかもしれない。
だが小さなアクション、例えば心の中で小さなネガティブなこと、いじわるなことを考えたとする。
それにも必ずリアクションはついてくる。
We are the participants in whole.

そして
Nothing is good,nothing is bad.everything is for our evolution.
Every situation is created for our evolution.
(いいことも悪いこともない。すべてのシチュエーションは私たちの進化のためにある。)
状況をみる自分がいて、その起きているすべての事柄から気づきを得て進化するとき、そこにはgoodもbadもない。

もう一つおもしろかったのが、
People who have expectations go through labor without delivery.
(「期待」するのは、出産のない陣痛のようなものだ。)

宇宙とかちょっと・・・という人も、感じる部分だけ感じればいいのだと思う。

英語に苦労しながらも、日々新しいものの見方を学んでいる。
ヨガは朝晩2時間ずつ、2週間経過して、かなり体力がついてきた感覚がある。
仰向けで足を上げ下げするトレーニングも、以前より苦痛ではなくなってきた。
やりすぎると腰を痛めるので、自分の範囲を把握しつつ。

明日は休みだ、いえーい!でも早起きしてみんなで近くの寺に行くらしい。